世界的に有名な大航海時代の航海士「コロンブス」。アメリカ大陸を発見したことで有名なコロンブスには意外な逸話と残念な真実が存在します。
今回はコロンブスの逸話と真実、先住民に対して行われた悲惨な統治などをご紹介します。
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目次
コロンブス
①コロンブスとは
コロンブスは1400年代後半に活躍したイタリア生まれの探検家です。大航海時代においてスペインの航海者として開拓を行ない、当時の白人としては初めてアメリカ大陸を発見した人物として知られています。
画像:Sebastiano del Piombo
コロンブスは新大陸を発見したことから一部の人々の中では長らく英雄とされてきました。しかし、先住民族を大虐殺したことから最近では悪名高い侵略者として非難の的にもなっています。
ちなみにコロンブスという名前は英語であり、出身地のイタリアでは「コロンボ」と発音します。
②コロンブスの詳しい出自についてはわかっていない
コロンブスの詳しい出自については現在でもわかっていません。イタリアのジェノヴァで生まれたとされていますが、これには根拠がないため中にはポーランドの王子だったのではないかという驚くべき説まで存在します。
画像:Benet Mercadé
また、コロンブスはユダヤ人であり、新大陸の発見もユダヤ人の新天地を探すためという真意があったのではないかという意見も存在します。しかし、コロンブスが王子やユダヤ人であるという証拠があるわけではなく、これらも創作の一種であるという見方が一般的です。
コロンブスは貧しい家に生まれたと考えられており、父親は織物を売って生計を立てていたといわれています。そのため、コロンブスは幼い頃から苦労人だったとされているのです。
③コロンブスは家業の手伝いで海に出るようになった
コロンブスは家業の手伝いで海に出るようになったのではないかといわれています。彼は若くして商売のために船に乗り、織物の他に酒やチーズなどを売り歩きました。
画像:Museo Nacional de Arte
しかし、海の商売は危険を伴い、コロンブスが25歳のときには乗っていた船がフランス海軍から攻撃を受け沈没しました。コロンブスは海に投げ出され、オールにしがみ付きながら近くの島まで泳いで逃げたといわれています。
命の危険に晒されながらもコロンブスは航海者として成長していき、弟のバルトロメと地図を売りながら、やがてある程度の成功を収めるようになりました。
④コロンブスは貴族の娘と結婚した
コロンブスは28歳のときにフェリパ・ペレストレリョ・エ・モイスと結婚しています。フェリパは貴族の娘であり、コロンブスとは修道院のミサがきっかけで知り合いました。
画像:pixabay
当時は結婚に身分が強く影響していましたが、コロンブスが航海士として成功していたためフェリパと結婚できたのではないかといわれています。また、結婚時のフェリパは25歳であり、当時にしては晩婚だったことも身分差を許された理由だと考えられています。
⑤コロンブスは黄金郷ジパング(日本)に憧れた
航海士や地図製作者として成功していたコロンブスにはひとつの夢がありました。それは東方見聞録に記された黄金郷「ジパング(日本)」に到達することでした。
そのためにコロンブスは独学でスペイン語やラテン語、地学や天文学まで習得し、航海士としての能力を鍛えています。
画像:Orlando Ferguson
中世のキリスト教では「世界はヨーロッパ大陸、アフリカ大陸、アジア大陸で構成されている」という考え方が一般的でした。また、当時は地球平面説に代わり「地球球体説」が信じられるようになっていたのです。
そのためコロンブスは大西洋を進んで行けば地球を一周して反対側のアジアにたどり着くことができると考えたのでした。しかし、実際にはアメリカ大陸が存在するため、コロンブスはアメリカに到達することになるのです。
⑥コロンブスの航海は中々許可されなかった
従来の常識よりもずっと早くアジアに到達できると確信したコロンブスは、援助と許可を求めてポルトガルの王ジョアン2世に航海計画を提案しました。コロンブスはジパングを植民地にできれば溢れんばかりの金銀財宝を手に入れることができると説明したのです。
コロンブスは提案力に優れており、ジョアン2世は計画に強く興味を持ったといわれています。しかし、後述するようにコロンブスが提案した自身の取り分があまりに法外だと判断されたため、援助と許可を得ることができませんでした。
画像:Emanuel Leutze
ポルトガルでの援助をあきらめたコロンブスはスペインに渡り、そこで貴族のメディナ・セリ公から物資の支援を得ることに成功します。そして、王室の許可を得るためにメディナ・セリ公の推薦の下、カスティーリャ女王イサベル1世に航海計画を提案したのです。
イサベル1世はコロンブスの提案に強く惹かれましたが、夫のフェルナンド2世があまり興味を示さなかったため、回答は延期されてしまいます。そのためコロンブスはスペインでの許可をあきらめ、フランスに向かうことにしました。
ところがコロンブスが旅に出たタイミングでスペインの許可がおり、ギリギリのところでコロンブスはジパングを目指して航海ができることになったのです。
⑦コロンブスのサンタフェ・契約は非常に好条件だった
コロンブスが王朝に提案していた自身の取り分は、当時の王朝からは法外だと捉えられていました。その内容は、コロンブスが発見した領地の監督権を持ち、その地で起きた問題への裁判権も得るというものでした。
さらに発生する利益の1割をコロンブスのものとし、他領域への航海でも彼自身が負担した航海資金の割合と同じだけ、利益を分配して欲しいと主張しました。
画像:pixabay
しかし、スペイン王朝はジパングを植民地にできれば十分に利益を得られると考え、コロンブスの提案を受け入れる「サンタフェ・契約」を結んだのです。実際にアメリカ大陸に到達した後はこの契約に従い、コロンブスは利益と地位を獲得しています。
⑧最初の航海では船内で暴動が起きた
こうしてスペイン王朝の許可を得たコロンブスは、最初の目的地としてアジアのインドを目指して航海することになります。3隻の大型船と90人の乗組員を従えたコロンブスは、当時未知の領域とされていた大西洋へと繰り出しました。
しかし、コロンブスは大陸間の距離を実際よりもずっと短く計算していたため、中々大陸を発見することができなかったのです。
画像:pixabay
また、当時は地球球体説が浸透してきてとはいえ、船乗りの中には地球平面説を信じている者もまだまだ少なくなかったのです。大陸が発見できず海の果てへ落ちる恐怖に怯えた乗組員たちは暴動を起こし、コロンブスに残り三日で進展が無ければ帰国するという約束をさせました。
しかし、その後流木を発見したコロンブスは陸が近いと船員たちを鼓舞し、出向から2ヵ月ほどで未知の新大陸に到達したのです。
⑨先住民族はコロンブスを天使だと考えた
コロンブスが上陸した島は大西洋にあるバハマ諸島のひとつでした。彼はこの島を「サン・サルバドル島」と名付けます。その後、フアナ島(キューバ島)やイスパニョーラ島にも到達し、アメリカ大陸で初めてのスペイン入植地を確保しました。
これらの島々にはもともと先住民族が暮らしており、サン・サルバドル島のアラワク族などは突然海から現れたコロンブスたちを「天の使い」だと考えました。そのためコロンブスたちはたくさんの食料を振る舞われ大歓迎を受けたのです。
また、コロンブスは月食を予測して言い当てることで先住民族たちを驚かせたともいわれています。
画像:L’éclipsede lune de Christophe Colomb
彼らには武器や刃物という概念がなく、コロンブスの剣を触って自ら怪我をしてしまうほど平和な民族でした。また、万物は万人の物という考え方であったため、コロンブスが渡せと言ったものは全て嫌がらずに献上したのです。
しかし、コロンブスは彼らを奴隷としてしか見ておらず、何人もの先住民族を強制的に連れ去ってしまいます。そして彼らの持っていた真珠や宝石などの財宝も強奪していったのです。
旅の成功を確信したコロンブスは入植地に38人の船員を残し、スペインに帰国しました。コロンブスは英雄として扱われ、約束通り発見地の監督権と強奪品の1割を手にしたのです。
⑩2度目の航海は直ぐさま許可が下りた
当時のスペインにとって未知の大陸を発見したことで、コロンブスは確固たる地位を築くことに成功します。彼は二度目の航海の支援と許可を国に求め、今度はあっさりと可決されています。
画像:Christopher Kolumba
コロンブスは次の航海の成功も確信しており、二度目の航海について次のように語ったと記録されています。
「私は望まれるだけの黄金と、望まれるだけの奴隷を連れて戻ろう。一見不可能に思える物事でも、神は信じる者に勝利をお与えになるのだ。」
⑪コロンブスはインディアンに対して大虐殺を行なった
コロンブスが入植地に戻ると、残してきた38人の船員たちは彼らに不満を持った先住民族たちによって全員殺されていました。また、周辺の島に住むルカヤン族、カリブ族、タイノ族も白人の横暴さに憤慨し、抵抗の意を示したのです。
彼らはコロンブスたちは天使などではなく、危険な侵略者であることに気付いたのです。これに対してコロンブス率いるスペイン軍は大虐殺による非人道的弾圧を行なったのです。
画像:John Vanderlyn
コロンブスは彼らをインディアンと呼び、まるで動物でも狩るように殺戮を繰り返しました。罪のない先住民族たちは財産を奪われ、次々に殺されていったのです。女性は乱暴され、殺されなかった男性たちも酷い拷問を受けることになりました。
その後、コロンブスが病に倒れたことで虐殺はさらに苛烈になり、5万人を超えるインディアンが殺されてしまいます。初めは天使だと思われたコロンブスは先住民族にとっての「死神」になってしまったのです。
⑫コロンブスに対して本国から統治調査が入っていた
多くの先住民族を虐殺し捕獲したコロンブスは、彼らを奴隷として本国に送りました。コロンブスには奴隷商人としての顔もあり、スペイン王朝に奴隷を送ることで自身の評価がさらに上がると考えたのです。
しかし、これに驚愕したイザベル女王は彼ら故郷に送り返し、コロンブスの統治実態を視察するための調査委員を派遣します。
画像:Eugene Delacroix
コロンブスは慌てて本国に帰還し、イザベル女王に謁見しました。そして、先住民族への厳しい統治も黄金をスペインに持ち帰るために仕方なくやったことだと説明したのです。
コロンブスの先住民族への仕打ちは非人道的であり、決して許されることではありませんでした。しかし、国の利益を優先した当時の王朝はこれに目をつぶってしまいます。
⑬コロンブスはインディアンに黄金を探させた
何とか罪を免れたコロンブスは、植入地に帰還し黄金探しを再開します。コロンブスは先住民族たちに対し、期限までに一定量の黄金を献上するように命令しました。
そして、これを達成できなければ性別に関係なく彼らの手首を切り落としていったのです。しかし、アジアでも黄金郷でもないアメリカ大陸にコロンブスたちを満足させるほどの黄金は存在しませんでした。
画像:pixabay
先住民族たちは生活のほとんどを黄金探しに費やすしかなくなり、毎日支配に怯えながら飢えて困窮していきました。さらにコロンブスたちが持ち込んだ未知の病気にも苦しむことになったのです。
この頃にはコロンブスも自分が発見したのはインドではないことに気が付いていました。しかし、彼は黄金探しを中止することはなく、800万を超えていた先住民族たちの人口は最終的には3分の1にまで減少してしまったのです。
⑭3度目の航海で全ての地位を剥奪された
3度目の航海でも黄金を探していたコロンブスでしたが、この頃になると入植地のスペイン軍は黄金探しよりも先住民族の虐待を楽しむようになっていました。
彼らは罪のないインディアンの死に様を賭けの対象にしたり、ひとりの逃亡者を軍単位で狩りでもするかのように追い回したりしたのです。
画像:Virgen de los Navegantes
しかし、コロンブスの統治の残虐性についてスペイン本国でも再度問題視されるようになっていきます。そして遂には逮捕され本国に強制送還されてしまいました。
コロンブスは国家にもたらした利益の多さから何とか罪を免れましたが、手に入れた全ての権利と地位を剥奪されてしまいます。
⑮4度目の航海では難破して救助された
全てを失ってしまったコロンブスでしたが、名誉回復のために4度目の航海の支援と許可を求めます。しかし、国から許可は下りたものの支援されたのは使い古された小型のボート4隻だけでした。
画像:pixabay
それにもめげずに航海に出たコロンブスでしたが、結果的に船が難破し救助されるという形でスペインに帰還しています。また、コロンブスを長年支持していたイサベル女王が亡くなったことで、国からはさらに冷遇されることになってしまいました。
帰国後は病気になり、これ以降は航海に出ることもできなくなってしまいます。一時期は国の英雄として扱われたコロンブスでしたが、晩年は残虐な航海士として不名誉の中で死ぬことになったのです。
⑯コロンブスはアメリカ大陸を発見していないことにされている
コロンブスはアメリカ大陸の発見者とされていましたが、そこは先住民族にとっては太古から知られた土地でした。そのためコロンブスは初めてアメリカ大陸を発見した人物ではなく、「白人で初めてアメリカ大陸に到達した人物」ということになります。
画像:Amerigo Vespucci
ヨーロッパ大陸では古くからアメリカ大陸のことを発見者であるコロンブスにちなんで「コロンビア」と呼んでいました。しかし、現在では南米大陸の発見者は「アメリゴ・ヴェスプッチ」という人物であるとされており、その理由から新大陸は「アメリカ」と呼ばれるようになっていったのです。
コロンブスは当時未知だった大西洋の航海路を開拓した人物として評価されていますが、その後の統治の悪さから今でも否定的な意見が後を絶ちません。
⑰ヴァイキングの方が先にアメリカに到達していた
アメリカ大陸からはコロンブスが上陸した頃よりもさらに前の時代の鉄釘が発見されています。そのため大航海時代の海賊「ヴァイキング」がずっと前にアメリカ大陸に到達していたと考えられるようになりました。
画像:Leif Ericson
このことからコロンブスが白人で初めてアメリカ大陸に到達したという事実も覆ってしまったのです。また、サツマイモなどの作物が南米からヨーロッパに持ち込まれた可能性があるため、古代ポリネシア人もコロンブスより先にアメリカに到達していたのではないかといわれています。
⑱コロンブスの卵も創作だった
コロンブスの卵はコロンブスにまつわる有名な逸話です。新大陸を発見したコロンブスでしたが、彼の成功を妬んで「西に行けば誰でも発見できただろう。」と嫌味を言われることがありました。
その際にコロンブスは近くにあった卵を手渡し、「これを机に立ててみてください。」と言ったのです。そして、誰も出来ないのを確認してから、卵の先を机で平らに割って立たせてみせたといわれています。
「そんな方法なら誰でもできるだろう。」と人々は不満を述べました。するとコロンブスは「人がやったのを見た後でなら誰でもそういうのです。難しいのは最初にそれをやることです。」と言ったのでした。
画像:pixabay
この逸話はコロンブスの聡明さと柔軟さを表す逸話として有名になりました。しかし、これと全く同じことをやった偉人が前時代に存在したため、これは後世の人々の創作なのではないかといわれるようになったのです。
元になったのはイタリアの建築家「フィリッポ・ブルネレスキ」が、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の設計に立候補したときの逸話でした。
フィリッポが設計図を見せずに立候補したことに他の建築家たちが憤慨しました。するとフィリッポは卵のくだりをやって見せた後で、「最初にやるのが難しいのです。私が設計図を見せたらあなた達は真似をするのでしょう?」と言ったといわれています。
出典参考:wikipedia
画像:Sebastiano del Piombo
いかがでしたか?世界的に有名な大航海時代の探検家コロンブスについてご紹介しました。コロンブスは航海士としては優秀だったに違いありませんが、自身の欲のために多くの人々を不幸にしてしまったのです。
とはいえ未知の大陸を探しての航海には憧れるものです。世界にはまだまだロマンが溢れています。